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【均一性を保つには犠牲が必要】20190114 毎日更新14日目

2019.01.14
ガーデニング ・ コラム
今日は庭の芝生の草むしりをしていました。

最近の暖かさで、
例年よりも早く雑草がでてきたからです。

自宅の芝生は、
お隣がプランターで野菜栽培をされていることもあり
毛虫を駆除するとき以外は
まったく農薬などを使用していません。

芝生の中には
いろんな種が飛んでくるのか
鳥が運んでくるのか
いろんな雑草が生えてきます。

少しさぼっていたら
あっという間に15㎝ほどに成長しているものもあります。

芝生を綺麗に成長させるためには
ゴルフ場と同じように
今頃から「芝生専用の除草剤」を
使用すればいいのでしょう。

科学の力で、芝生だけは大丈夫で
他の植物にとっては
毒となって芽を出なくするものです。

しかし あえてそれを使用することは
いままでありませんでした。
自然界の法則から反しているようで
なんとなく罪悪感があるからです。

本来、自然界では
土の上には、さまざまな植物が茂っているのが
当たり前の姿でしょう。

それをあえて
私という人間の都合で
芝生だけにしています。

生活空間にたとえてみると
何もしなければ
ホコリがたまり
モノが散らかっていきます。

人間が掃除をしない限りは
どんどん汚れたままになる でしょう

なにもしなければ乱雑で混沌とした状態になる
というエントロピーの法則ですね

外部から
ホウキと雑巾でホコリを取り除く
床に落ちているモノを片付ける という
エネルギーを使って
はじめてキレイなもとの状態に戻ります

草むしりでは
雑草を全部取りきれないので
最終的には、芝刈り機で高さをそろえて刈り込みます

それでもキレイなんですよ
いろんな緑色が混じり合うことで
点描写の絵画のようになりますから。

均一な世界って
本当に必要なのでしょうか。

少しの異物でも排除してしまう
自分の都合のいいものだけ並べて
それでよしとする

そんな基準をずっと続けていくのなら
芝生特有の病気で全滅してしまいそうです
そうなると芝生以外は
育たない不毛の地が残るだけです。

多様性を受け入れる
そんなことを思う昼下がりでした。